マヤ暦数字上の見えない太陽神 ◆maya/ednWs

マヤ暦の数字と思想で完全再現される守護数4「太陽の神」の生まれです。自民党、宮城県警、宮城県及び仙台市に監禁されたので、自分の中での正義の中で「告訴と提訴」を行い、勝利を目指すものです。

他人を「バカ」と呼ぶ人に伝えたい“超・正論”  思想が違えば、メリットが無ければ離れるのが正しい。 双方が対面するのが間違い。 不毛の連鎖

 

 本来、ネットなんて大方は

スルーして流せばいいわけですよね。

 

私も過去に、ネットで散々ぶつかった時期はありました。

普通、くだらないものには首は突っ込まないし。

 

私は要らないものはこちらを見るなと書いているだけ。

でも代理ヤクザが要らない20年間を引き摺っている。

 

だから私は言葉が低質になるわけですね。

 

こちらは相手に馬鹿と言っているのではなく、

あなたは要らない、だから対面する価値も無い。

そう書いているだけです。

 

叩かれる原点は、自分達が作っているんですね。

 

相手にされていないのに見ているのは、

「バカ」で間違いないです。

 

 

私は他を見る権利はあるし、

要らないのが常にこちらを見ているんですね。

 

大方、私が住んでいる界隈に、

要らないのが多い場合が多いです。

 

 だから通販で遠方から買い、対処すればいいですね。

最初から要らないでしょ。

 

私の中では、絶対に利用しない店舗も多々ある。

 

 

私は最初から、思想の整理をしていましたよね。

要らないのがこちらを見るから、整理したんですね。

当然に、大杉神社も私と関係在るとは最初から書いていない。

 

最初から聞いていないのは外しています。

当然のことですね。

 

あえて、「ホンダ タクト」が叩かれた意味を

学習すべきだ。

 

バカだからだろ?

 

行動が訂正できないのはバカと言われても仕方がない。

こちらが更々相手にしていない。

 

私は、ホンダの相手はしていないので、

山の寺は捨てて終わりですね。

 

目障りだと思うね。

頭がおかしいカルトの典型。

 

 

常に去る人間が賢い。

 

 

対話が出来なければ去るのが一番。

追いかけてきたら全ては通報で。

 

 

私はこの11年間、仙台の相手はしていない。

仙台が拾ったのは私は全て捨てればいい。

 

それだけですね。

この11年間は、全ての時間を失った。

仙台は全てを捨てればいい。

 

特に、富士山とドン・キホーテを捨てるのは、

私の信念ですね。

 

そんなものは一切要らない。

 

要らないものが私を巣くっていると断言出来る。

こちらの糧になるものはゼロだ。

 

 

 

 

 

他人を「バカ」と呼ぶ人に伝えたい“超・正論”

1/21(火) 5:30配信

東洋経済オンライン

 ネットのマナーで気になることがあります。それは、自分と意見が違う相手を「バカ」と呼ぶ人が多くいるということです。

 もしあなたにも心当たりがあるなら、すぐやめてほしいです。なぜなら、相手はバカなのではなく、あなたと考え方が違うだけだからです。

 人はみんな価値観も違いますし、物事を見るときの視点も違います。育った環境、見てきた景色、経てきた体験などのすべてが違います。もし同じ人生経験をしてきたなら、あなたもその人と似たような考え方になる可能性もあったのです。

 しかも、自分と違う相手からは学べることも多いはずです。相手は自分にないものを持っているからです。自分には見えないものが見え、自分が知らないことを知っています。そこから謙虚に学びたいものです。それによって自分の考えが変わることもあるでしょう。逆に、自分の考えのバズが修正されてより強固になることもあるでしょう。いずれにしても、自分の成長に役立ちます。

■相手を「バカ」と呼んだ瞬間、話し合いは不可能に

 これは哲学の言葉で言えば弁証法です。自分はAという考えを持っていて、相手はBという考えを持っています。話し合うことでAとBを統合してよりよいCという結論に達します。これを止揚(アウフヘーベン)と言います。ですから、AとBという違う意見は対立するものではなく補い合うものです。この弁証法こそ民主主義の根幹です。

 弁証法は、国防安保や原発問題などの国論を二分するテーマでも、子どもの進学先をどうするとか夕飯を何にするかなどのプライベートなテーマでも、人間同士が話し合うときの基本中の基本です。どんなテーマでも、一方的にどちらかが完全に間違っているということはありえません。相手にも必ず理(ことわり)があり、それは自分にない部分を補ってくれているのです。でも、相手を「バカ」と呼んだ瞬間に話し合いが不可能になります。

 現在、世界中あらゆるところで対立が鮮明化し、分断が進んでいると言われています。その1つの原因は私たちが弁証法のことを忘れ、相手に耳を傾けなくなっているからではないでしょうか?  もちろん、そんな理屈どおり簡単にいくはずはありませんが、こういったことを意識しているだけで違ってくるはずです。

 それに、相手をバカと呼ぶのは不幸のタネをまく行為でもあります。相手は、当然ながら非常に不快な気持ちになり、決してそれを忘れません。いつかあなたにリベンジしたいとチャンスを狙い続けます。相手にこういうネガティブな気持ちを持ち続けさせること自体がよくないことです。そして、仕事でもプライベートでも、きっかけさえあればあなたの足を引っ張ろうとするでしょう。

 

■不幸は連鎖する

 もしあなたが、ブログ、ツイッター、インスタグラム、ユーチューブなどを使ってネット上で発信しているなら、それに対して否定的コメントを送ってくるかもしれません。いわゆるアンチという存在になってしまうのです。これはあなたにとっても、相手にとっても不幸なことです。

 そして、こういう不幸は連鎖します。バカと呼ばれた人は必ず不快に感じます。そして、たとえそのストレスをあなたにぶつけなくても、もっと自分より弱い相手にぶつけるかもしれません。その人に子どもがいれば子どもにぶつける可能性は大きいと思います。親を介護している人なら、親にぶつけるかもしれません。会社の上司なら部下にぶつけるかもしれません。あるいは、どこかの店の店員にぶつけるかもしれませんし、ストレスで運転が乱暴になるかもしれません。

 池に石を投げれば石が落ちたところから波紋が広がります。同じように、バカという言葉によって引き起こされた不幸の波は広がっていきます。こういったことは考えすぎでしょうか?  私はそうは思いません。人間に把握できない部分でこういったことは連鎖していくのです。

 自分の言葉によって引き起こされた不幸の波を、人間はトレースし続けることなどできません。それは目には見えないのです。でも、目には見えなくてもあるのです。物理学に「物質不滅の法則」や「エネルギー不滅の法則」があるように、こういったものも姿形を変えながら残ると考えるべきです。

 それに、誰かをバカと呼んでいる人の文章を読むと、それを読んだ人もよい気がしません。これもまた不幸なことです。そして、書いた人の人格を疑う気持ちも出てきます。それがどんなに素晴らしい知見に満ちた文章でも、どんなに斬新なアイデアであっても、書き手の人格に疑問符がついてしまうと素直に受け入れられなくなってしまいます。

 ネットでは相手の顔が見えません。ですから、相手が不快になったり傷ついたりする姿を見ずに済みます。それで、平気でバカと言ってしまうのです。でも、それは想像力の欠如です。なぜなら、顔は見えなくても相手は必ずそこに存在しているからです。そして、その人にも人間としてのリアルな生活があります。子どももいるかもしれませんし、介護している親もいるかもしれません。

 

相手は遠いところではなくあなたのすぐ隣にいます。あなたのパソコンやスマホの画面のすぐ隣です。物理的な距離では遠くても、ネット的な距離ではすぐ隣です。ネット的にすぐ隣ということは心理的にもすぐ隣と考えるべきです。

 私たちは物理的に遠い距離にいる家族や友達とネット上でやり取りして、「ネットは距離を超えた」と喜びます。地球の反対側にいる孫とスカイプでやり取りして涙ぐむおばあちゃんもいます。単身赴任してアフリカで働いているパパと、スマホの画面を通して毎日会話している子どももいます。このように物理的な距離では遠くても、ネット的な距離と心理的な距離ではすぐ隣なのです。

 ネットであなたがバカなどの言葉を使っても誰も注意してくれません。そもそも気がつかないということもありますが、もし気がついていても注意してくれないことが多いでしょう。もし気づいた場合、その人は内心で「この人、こういう言い方をやめればいいのに。こういうところを直せば、もっとリスペクトできるのに」と思うのではないでしょうか?  でも、あなたに気を遣って言わないだけです。

 ネット上では相手にバカと言ってしまう人も、実際のリアルな場で面と向かっては言わないはずです。面と向かっては言えないのにネットでは言えてしまうというのは、ネットの匿名性に頼っているからです。自分は安全地点にいるから傷つかずに済むと油断しているのです。これほど卑怯なことはありません。卑怯なことを続けていると自分の人格が歪みます。それもまた自分を不幸にすることです。

■マナーを守って、ネット空間をよりよいものに

 なぜ、私がこういったことを言うかというと、これからの時代を生きる子どもたちのために、ネット空間をよりよいものにしたいと願うからです。ネット空間は人類に与えられた新たなフロンティアです。わずか4半世紀前には存在しませんでした。この25年ほどの間に、突如新しい世界が人類に与えられたのです。それは無限の可能性を秘めていて、とてつもなく魅力的な空間です。

 突然のことなので、人類はこれをどう扱っていいかわかりませんでした。それで試行錯誤が始まりました。匿名で何でも表現できることがわかったので、人々の本音が丸出しになってしまいました。今まで言いたくても言えなかったものが一挙に吹き出しました。

 

 子どもが新しいおもちゃを与えられたときも、大人が新しいデバイスを手に入れたときも、初めは使い方がわかりません。でも、だんだん慣れてくるとうまく使えるようになります。人類がネットを手に入れたときも、これと同じことが起こりました。でも、もう25年も経ったので、そろそろ次の段階に進んでもよい頃です。

 それを、まず自分から始めましょう。マナーを守ってネットを使うことからです。そして、自分からよい波紋が広がるようにできれば最高です。これからの時代を生きる子どもたちのために、ネット空間をよりよいものにしていきましょう。

 親はみんなかわいいわが子を幸せにしたいと願っています。でも、自分の子どもだけ幸せにすることはできません。今の大人世代がみんなで協力して、リアルな世界もネットの世界もよりよいものにしていく努力が大事だと思います。

親野 智可等 :教育評論家

 

他人を「バカ」と呼ぶ人に伝えたい“超・正論”(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース
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