マヤ暦数字上の見えない太陽神 ◆maya/ednWs

マヤ暦の数字と思想で完全再現される守護数4「太陽の神」の生まれです。                          自民党、宮城県警、宮城県及び仙台市に監禁されたので、自分の中での正義の中で「告訴と提訴」を行い、勝利を目指すものです。

【仏教・経典】「唯識(ゆいしき)」3年と「倶舎論(くしゃろん)」8年

 

 仏教の経典は、「唯識(ゆいしき)」3年と「倶舎論(くしゃろん)」8年だそうです。

 

私は、宗教者では無いので無関係なのですが、

私の生誕日は8月11日にされて、仏教に言いがかりを付けられていました。

 

倶舎論8年+唯識3年=11年ですね。

 

 なぜ、赤の他人の私に絡めるんだろうね。

こちらは許可の申請をされたことはないですが・・・。

 

頭おかしいね。

 

私は山の寺という団地に隔離されているので、ここが仏教なのですが、

たぶん笑顔で行けるのは精神障害者前だと思います。

 

元々仙台ってキチガイなので・・。

 

 

特に、唯識は重要な様で、これは「心」の悟り、修行みたいです。

 

唯識は、簡単に人間関係の構築の話みたいですね。

お互いが認めなければ、単なるストーカーって奴です。

 

私から言えば、仙台には心はない。

元々仙台の仏教には失格者しかいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

倶舎論

 

くしゃろん

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倶舎論や唯識は非常に難解なので、唯識三年倶舎八年、という言葉があります。
倶舎論を八年学んだ後に、唯識を三年学ばなければ理解不能、というような意味です。
倶舎論や唯識は、仏教を学ぶ者にとって、古来必修の科目とされていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世親
ガンダーラ地方の生まれの人で、インドでの名前はヴァスバンドゥです。
世親は新訳名で、旧訳名では天親てんじんです。

400-480年頃の人、異説もあります。小乗仏教から大乗仏教に転向し、唯識思想を確立した人で、唯識派三大論師の一人です。

   部派仏教 ぶはぶっきょう
   

お釈迦様が亡くなって100年位経つと、教えの解釈の違いによって分裂が起きます。

まず、伝統をそのまま守ろうとする保守的な上座部じょうざぶと、進歩的な大衆部だいしゅぶに分かれます。

次に両派から数多くの部派が生まれ、それらが分立した時代の仏教を、部派仏教と呼びます。

   阿毘達磨 あびだつま
   

阿毘達磨はサンスクリット語の音写です。阿鼻達磨とも書きます。アビは勝れる、という意味で、ダルマには仏教語としては色々な意味があります。秩序を保つ-規則-お釈迦様の教え-真理-本質-特性などです。

阿毘達磨は、ダルマに関する研究、ダルマを理解する人達の智慧、のような意味になります。そして阿毘達磨の研究書を、論ろんとか論書ろんじょと言います。

論書は紀元前2世紀ごろから作られはじめ、次第に有力な部派は、みな各自の阿毘達磨=論書を持ちました。また、論書の注釈書も数多くつくられました。

   倶舎論 くしゃろん
   

阿毘達磨倶舎論あびだつまくしゃろんが本来の名前です。世親せしんというインドの僧侶が書いた仏教の入門書です。

倶舎は容れ物の意味です。そこで阿毘達磨倶舎論は阿毘達磨の教えと理論がすべて含まれている論書、という意味になります。

内容は、部派仏教の中で最も優勢だった説一切有部せついっさいうぶというグループの説を中心として、他の部派の説も加えて書かれました。たくさんある論書の中で、一番完成度が高い論書と言われています。そして説一切有部の代表的な書として、長く重んじられました。

現実世界のことから宇宙の構造、輪廻、煩悩、悟りに至る段階、などについて説明されています。

 

 

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唯   識

 

ゆいしき

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あらゆる存在は、ただ識=唯識
認識しなければ、ないのも同然。
心にすぎない、心のみ、とする考え方。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

論師
ろんじorろんしと読みます。

お経は経・律・論の三種類に分けられます。
経・律・論のうちの、とくに論に精通した人を論師といいます。経・律・論、三つに精通した人が三蔵法師です。

教理学者や論義をよくする人も論師と呼ぶ場合があります。

   唯識思想 ゆいしきしそう
   

唯識思想は、北インドに生まれた無著菩薩むじゃくぼさつ310-390と世親菩薩せしんぼさつ320-400の兄弟が大成させた思想です。大乗仏教の根幹をなす思想の一つです。

唯識三年倶舎八年ゆいしきさんねん くしゃはちねんあるいは唯識八年倶舎三年と言われ、唯識は難解な思想でも有名です。

   認識論
   

世の中を、モノの世界心の世界に分けます。モノは心によって認識される、と考えます。

例えば、信号機があっても、何かに気を取られていて、その信号機に気づかなければ、無いのも同然です。そこにあることを認識した人に、はじめて存在することになります。

このような認識もあります。先生と生徒、互いに相手をそのように認識して、はじめて先生と生徒の関係が成り立ちます。そう思わなければ、先生と生徒の関係は成り立ちません。

さらに、観る人の心の状態によって、同じ先生が親切な先生になったり、おせっかいな先生になったりするでしょう。

 

先生の本性は、いったいどちらなのでしょうか?

 

あらゆる存在は、どのように認識しているか、自分の心の投影である、とするのが唯心論=唯識説です。

   唯識派
   

この学派は、瑜伽ゆが=ヨガの実践を通して、唯識性を観察することを重視する人達によってはじめられました。瑜伽行派ゆがぎょうはとも呼ばれます。当初は実践体系を説いていましたが、しだいに唯識説の理論に重点が置かれるようになり、唯識派と呼ばれるようになりました。

唯識派は、無相唯識派と有相唯識派に分かれます。西遊記で知られている玄奘三蔵法師は、有相唯識派の戒賢論師かいげんろんじから学び、中国に唯識思想を持ち帰ります。中国では玄奘三蔵法師の弟子、慈恩大師がこの思想を受け継いで法相宗を開きます。はものの本性、はものの現象、をさしています。

また法相宗は、その由緒から唯識宗とも慈恩宗じおんしゅうとも呼ばれます。厳密な分析的思考法の認識論を基本としています。

 

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