マヤ暦数字上の見えない太陽神 ◆maya/ednWs

マヤ暦の数字と思想で完全再現される守護数4「太陽の神」の生まれです。                          自民党、宮城県警、宮城県及び仙台市に監禁されたので、自分の中での正義の中で「告訴と提訴」を行い、勝利を目指すものです。

【祝・宴】6月21日 1996年に出来た鬼首の土地改良(別名:田布施町)事業完工記念碑から私の名前が消滅しました!!!【小泉事業・早稲田(世界の森)の湯・白鵬・皇室温泉・富岡八幡宮 ・バチカン大崎耕土】

 

 私の人生の最悪の汚点である土地改良業界から、

まずは石碑より名前が消滅したと、昨日に一報を聞きました。

のちほど写真が到着するので、そこで確認いたします。

 

これは宮城県庁を通して要請した案件であり、

地元関係者立ち会いの下の削除でしたので、

全く問題は無い民事解決でした。

 

元々、当時に私が在席した宮城県農林事務所も、

そして1996年のこの完工記念碑時の宮城県古川農林振興事務所でも、

私は元々組織では要らない人間だったんですね。

 

半年の試験採用の中で、

「課長は優しいから正職員として認めたんだぞ」と話した、

当時の係長の言葉は忘れないものであり、

私は自分から公務員は目指していなかったので、

自民党農水省に騙されただけです。

でもさ、この半年の中で、この係長が私に教えた仕事は何も無いんです(笑)

最初からこちらが辞表対象の組織だったね。

まず積算システム研修も無かったので。

頭おかしい組織。

だから、自分でゼロから覚えたんだね。

転職した方が良かったとは思います。

この1995年からUR補正が付きました。

ウルグアイ・ラウンド通商交渉が前年に協議完了し効果発動かな?

そして1995年からそれに対する対外的な農業基盤整備強化と言う事で、

別枠で付いた当時の予算です。

仕事も私が入った年から増える、ゴミみたいな職場で、大損でした。

詐欺そのものです。

ヘリコプター・ペアレントの無責任親の最たる事例ですね。

当時にネットがあれば、自分で生き様は切り開いたさ。

東北農政局の詐欺師には騙されないでね。

 

 

当時に現実に鬼首で私がした仕事は無く、地元から大根を頂いて車につけ、

そして事務所に運んで、同僚が全て持ち帰っただけですね。

だから私と鬼首は金銭面で全く無関係です。

何も無いです。

1995年当時に割り当てられた公用車が、トヨタ車でした。

そして所長は奥田といい、当時のトヨタ経団連会長と同じ姓だ。

 

 それで1996年の完工記念碑作成時に、勝手に私の名が刻まれて、

この当時は礼節として金銭の授受があったのでは?

年度末に地元改良区が担当職員に封筒を渡したが、私だけ貰っていません。

それらの名前が記念碑に刻まれているんですね。

 

てか、なぜ私の名前を彫られたのかが分からないんですよ。

無関係であり、人事課が私の席を決めただけですね。

 

 そんなことで、私の過去の犯罪業界での汚点の場所から、

私の名が消滅しました。

一つ呪いから開放されたと言う事です。

未来永劫、大相撲の温泉と、私は関係ございません。

 

 因みに、鳴子温泉・滝の湯の管理者が遊佐と言う名前だそうで、

1998年度に私が大河原に異動して、大方付き合っていたのが遊佐組でした。

その当時の会社監督員は、自転車で鬼首まで行っていた人だったですね。

悪い人ではないよ。

私は付き合った業者の方が頭がおかしい同僚よりまともだったと理解している。

所詮、頭がおかしいのは官じゃん。 

 

そんな自民党宮城県連の遊びだと思うよ。

こちらは足は洗ったし、二度と相手にせんね。

 

 そんな中で、この当時の人らは、今後の私の人生で二度と対面することもない、

赤の他人であると理解して頂ければよろしいですね。

 

最初から用は無い。

用があったのは労働での賃金だけです。

 

別な場所で働いていれば、出会う必要性は皆無だった方々だ。

 人としては何も出会う価値は無かったですね。

 

 

いずれこちらは仙台藩は捨てるのだから、二度と相手にしないわけ。

最初から要らない人らだね。

 

森の厄災にまみれていればいい。

 

 元々自民党宮城県連と県議会の脳みそがおかしいのだから、

組織内部もその通りで、宮城県組織も頭が狂っているよね。

便所虫は要らないので。

 

 

そもそも、試験採用期間でこちらが辞表出せば済んだのに、

延々親に騙されて組織に残り、そして激昂して辞表を出せば、

あとは官の監禁だから、

仙台藩はただの犯罪の土地でしかないとよく理解しました。

土地ごと捨てるのは必然。

 10年前にそう思って、出て行こうとはしていた。