マヤ暦数字上の見えない太陽神 ◆maya/ednWs

マヤ暦の数字と思想で完全再現される太陽の神の生まれです。

エルサレムに神道がやってきた。三宅姓は私が10年前に宮城県農林水産部と共にゴミ処分したもの

 これね。

 

風というのは瞬時に向きが変わる。

そのまま続くと考えているのが脳に障害がある自民党神道だ。

こちらは切り捨てているし更々相手にしていない。

 

今般は、二度と過去のシロアリ、自民党の刺客が私に寄れない様に、

全て警察に事前通報しているのですよ。

 

大方神道のお好きなやり口は、

私の前に現れたブス女を男の姓で乗っ取り、

それに対応した姓を持ち上げると言う、

こちらは最初から無関係だからすぐに切り捨て、

そして逆風を吹かせて完了という茶番です。

 

ゴミが目の前に現れても、こちらの脳処理として困るよね。

それが結果論。

 

 

そんなのがエルサレムで神事とかお笑いだし、

こちらは神宮には排除電話済みだから、

それだけ世界が承知すれば

私の太陽とは無関係な事柄と言う事です。

 

その顛末の、

塩竈神社での120m堤防崩壊とか、仙台港での重油1000L流出とか、

私が過去に行かされた出雲大社ではハリセンボンの群れとか、

形だけのお遊戯だけやっても世界に笑われるだろ。

 

自分たちの犯罪をいい加減悔い改めるべきだ。

 

 本日朝には、

この三宅姓と共に私の現職時代に組織でこけにして

私を美人局に仕立て上げた山田奈緒子が、

いよいよ殺されそうになったと言う事で、

2000年の犯罪の整理も進み、私利私欲で怨念と化して、酷い顛末になっている神社の犯罪ですな。

ただ醜い。

 

神域に通じるエネルギーが涸れた後の富が消えた犯罪共もの殺し合いは酷い有様ね。

この騒ぎとは私とは一切無関係な話なので、勝手にどうぞと言う感じですな。

 

信用が失墜したところで、悪行を繰り返しても悪くなる未来しかないだろ。

ただ愚かと言う言葉しかないな。

 

こちらは自分の境界がおかされなけば、

神道エルサレムに行こうがどうでもいい話ですな。

私は近寄ったのを駆除しているだけ。

 要らないので。

 

現行で、

諏訪大社である2020年東京諏訪五輪が迫る中で、

白血病等水泳の異変や、フィギュアの陥落。

醜い様がドロドロと現れていますが、

そこでエルサレムが注視する理由ってのは私はわからんかな。

自民党の売り込みですかね。

 

米国に勝ってからほざけとは思うが。

口だけ一人前?

 

結局、私は全方向で始末すればいいからな。

2000年代は、勝手にやればいいと言う事。

要らないので。

 

結局さ、その土地に神職が行かなければ効果が無い宗教と言うのもゴミそのものだな。

 

神道の概念は氏神(産土神)だ。

他所の土地に呼ばれても、そこにはいつもの神は居らんよ。

嘘吐き宗教終わったな。

 

仏教から破門された、創価学会みたい(笑)

 

 

 

 

 

エルサレム神道がやってきた〈dot.〉

4/14(日) 11:30配信

AERA dot.

 
 私の勤める国立ヘブライ大学にはユダヤ教のシナゴーク(ユダヤ教会堂)があります。ユダヤ人学生が80%という大学だから当然といえば当然でしょう。ここに3月、氷室神社の禰宜の三宅勝正さんがやってきてお祓いの儀式をやってくれました。

【「金閣寺を60回訪れたイスラエル人教授」筆者のニシム・オトマズキン氏はこちら】

 大勢の学生や教職員が見守る中、宮司さん自らセッティングした神殿にお供えをしたあと神を呼ぶ儀式に入りました。一時間に及ぶ儀式はおそらくエルサレムでは初めて。周囲の人たちは興味深く見ていました。儀式の後には、皇學館大学の瓜田理子准教授による氷室神宮に関する講義が行われました。

 私は昨年、諏訪大社で毎年4月に行われる儀式に参加したことがありますが、それと同じように宮司さんは手を左右に動かし、神様を呼びます。お神輿が大社のほうから幕屋に運ばれます。そして驚くのが、神殿への供え物。鹿の肉、鶏など。儀式を見たときに何百年も前に引き戻された感覚を覚えました。神道儀式を見たのは初めてだったのですが、まるで旧約聖書の世界に連れていかれた気がしたのです。

 確かにユダヤ教神道は共通点があるといわれています。伊勢神宮の灯篭には「五芒星」が刻まれているとか、石川県にはモーゼの墓があるとされています。日本人とユダヤ人は同じ祖先であったという議論はずっと以前からあります。

 私が日本における宗教的儀式に魅かれるのは最初に京都に住んだ時以来です。京都に住んだ時の「マイルール」は毎週、寺社にひとつは行くことでした。有名どころではなく小さなあまり知られていない寺社ばかりを巡っていったのです。そこで私はイスラエルで感じたような親近感と違和感の両方を抱きました。2017年に私はユダヤ教の研究者たちを連れて日本に行き、出雲大社伊勢神宮、高山、明治神宮を巡りました。

 その中の一人、メナハム・ブロンデヘン教授は、「神道ユダヤ教は民族の認定において特別なものである。ユダヤ教ユダヤ人の宗教であり、他の民族とは関係ないだろう。神道日本民族のものである。ユダヤ教神道は民族固有のものとして不可分である」。そう主張しています。

 

 さて、神道ユダヤ教の違いもあります。神社は共同体の周辺に位置していて、自然に囲まれ一人になれる環境にあります。シナゴーグは常に共同体の中心に置かれています。最も大きな違いは、日本の神様はたくさんいて、ユダヤ教一神教ということです。ただ、イスラエルがカナンの地と呼ばれていた古代ユダヤの時代では、地域の神もユダヤ教として信仰の対象になっていたと思われます。

 また、はっきり違うのは、ユダヤ教は日々の生活において食べ物の戒律が厳しく、日に三回のお祈りが求められています。一方、神道は自発的なもので、戒律もゆるやかです。

 近代になって神道ユダヤ教はそれぞれの国で違う役割を演じました。19世紀から20世紀にかけて神道は、「国家神道」として大日本帝国の象徴となりました。今は平和国家としての日本のイメージに貢献しています。

 ユダヤ教は違う方向に進みました。過去2千年間、戦争はユダヤ教徒にとって最悪の事態を招いていました。ユダヤ人は世界中でバラバラに住み、戦争でたいへん被害を受けやすい民族でした。戦争が起こればいつなんどきでも命を守るために逃げなければならなかったからです。いまユダヤ教徒は一つの国に融合され、軍事的なイメージをもたらしています。

 宗教を考えるとき、私は一人の学者を思い出します。4年前に亡くなったヘブライ大のツバイ・ウエルブルホウキー教授という、世界的にも著名な宗教学者です。この言葉を遺しています。

「もしあなた方自身の宗教を理解したいのなら、ほかの宗教を調べて理解しなければならない」

○Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、同大東アジア学科学科長。トルーマン研究所所長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年エルサレムヘブライ大にて政治学および東アジア地域学を修了。07年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に送られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。12年エルサレムヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。

 

エルサレム神道がやってきた〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース
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