マヤ暦数字上の見えない太陽神 ◆maya/ednWs

マヤ暦の数字と思想で完全再現される守護数4「太陽の神」の生まれです。                          自民党、宮城県警、宮城県及び仙台市に監禁されたので、自分の中での正義の中で「告訴と提訴」を行い、勝利を目指すものです。

【祝420回・初代神武天皇】天罰論【立命館大学 歴史都市防災研究所】

 420回めの記事です。

これは2月11日建国記念日神武天皇ですね。

 

天罰論についてです。

東北大学より勝る立命館大学の論文ですね。

雇用すら維持できない大学は馬鹿が経営しているのだけは確か。

 

日本に於いては 藤原四子が737 年にそろって疫病(天然痘)で死亡したとき、この厄災説がとなえられているそうですね。

その時の病名が天然痘であり、この疱瘡を管轄する神である、稲敷市阿波の大杉神社。

その称号のルーツである武家の末裔が私であります。

 

要するに、天罰論である疱瘡の領域、これは全般には運によるところですが、その辺の神域を制御するのが私なのでしょうね。

 

maya-taiyoushin.hatenablog.com

 

 

 

1 天の懲罰

世界の洪水神話にほぼ共通してみられるパターンは、
人間世界の堕落が神の怒りをかい、神が人類を洪水に
よって全滅させ、そのあとわずか生き残った人々が(ア
ジアでは 1 組の兄妹が夫婦となる場合が多い)、人類をも
う一度繁殖させるというものである。洪水発生の原因は、
人間の堕落に対する神からの天罰ということになる。

日本でも古来このような天罰論で災害や異変が説明さ
れてきた。

災いはときの為政者の悪政や不道徳にあり、
社会の退廃、奢侈、腐敗、堕落に対して天が懲罰として
災害をもたらすと考えられたのである。

この考え方は中国儒教の災異思想の影響を受けたもので、
日本においては、奈良時代聖武天皇の御代で、藤原四子不比等
四子:武智麻呂・房前・宇合・麻呂)が 737 年にそろっ
て疫病(天然痘)で死亡したとき、この厄災説がとなえ
られている。

天罰論によれば、天変地異は王権と密接に関連し、政
治の是非や吉凶を占うことができる。民衆からみれば、
災害異変の発生は支配者の政治的倫理性、統治能力が危
機状態への臨界点に達したという判断となり、王権の交
代を求めることができる。

この災異説は、中国では前漢のころ(前 2 世紀後半の
董仲舒)から陰陽説と結びつき、さらにこれに五行説
結びつくようになった(前 1 世紀頃の劉向)。要するに前
漢になって陰陽五行説で災異が説かれるようになってき
たのである。日本でもその影響を受け、災異は陰陽五行
説で解釈されていく。

http://r-dmuch.jp/jp/results/disaster/dl_files/3go/3_1.pdf

r-dmuch.jp