マヤ暦数字上の見えない太陽神 ◆maya/ednWs

マヤ暦の数字と思想で完全再現される太陽の神の生まれです。

平家物語

 本日は現実世界での開戦なので来週からはそちらに動きます。

私は10年前は浅かった。

また裁判を起こす情報もなかった。

10年で全て揃いました。

今は大分視野が開けた。

 

ということで、平家物語です。

 

 

平家物語

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

遠くの異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、
これらは皆、旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、
天下の乱れんことを悟らずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば、
久しからずして、亡じにし者どもなり。

近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、
これらはおごれる心もたけきことも、皆とりどりにこそありしかども、
間近くは六波羅の入道前太政大臣朝臣清盛公と申しし人のありさま、伝え承るこそ、
心も詞も及ばれね。

 

 

 

 

私はこの軍記小説が多分日本国の中では一番見事な表現であると思っています。

作者が不明なのはとても不思議ですね。

 

全ては最初の4行のみで完結しているわけで、それに平家の滅亡までの話を照らし合わせて物語にしているようです。

むしろ5行目からは蛇足ですね。

まぁ、データ主義と言うことで、最初の4行の事実を平家で実証しているので、全体で完結ではあります。

 

本日は決戦の火蓋が切られたと言うことで、私も大分成長したので別にどうでもいい人に喧嘩は売らなくなりました。

だから、私が閉鎖病棟に入ることはないし、淡々と粛々と裁判に進めると。

もう行政公務員相手に批判をするとか、そのようなどうでもいい人を相手にする時代は終わったのだと言うことです。

 

平家物語が言わんとするのは、「諸行無常」と「盛者必衰」であり、これは仏教用語です。

やはり仏教は低質な日本神道と違い、色々と研究されたものだと思います。

これは仏とかそういうもの、即身仏とかを抜きにしても色々と教えられることは多いのだろうなと思います。

私は未熟なので全然知りませんが。

日本神道が低質だから、自分たちで仏教を取り入れた。そして後には仏教を神道から排除した。

やはり日本神道の頭の悪さはそういう流れを見れば、その通りだなと思います。

 

日本神道は、世界観を描いただけの古事記日本書紀のみですからね。

最後に目糞鼻糞で天照大神月読命素戔嗚尊が生まれる有様は、まさに糞の宗教です。

こんなのが日本の神様とか、私は恥ずかしいですね。日本人として。

だから私はそのような宗教の家系に生まれなくてとても幸せだった。

私は私でまた不運な人生でしたが、そういう家系でないので日本神道を即座に排除できました。

これは人生を変える幸運であったと。

 

話は戻り、諸行無常と盛者必衰について書きます。

 

まずは辞典より転載します。

 

諸行無常(読み)しょぎょうむじょう

 

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

諸行無常
しょぎょうむじょう

 

 

この現実の世界のあらゆる事物は,種々の直接的・間接的原因や条件によって

つくりだされたもので,絶えず変化し続け,決して永遠のものではないということ。

これに諸法無我涅槃寂静 (ねはんじゃくじょう) を加えて三法印 (さんぼういん) といい,

仏教根本説をなす。

 

諸行無常(しょぎょうむじょう)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E8%AB%B8%E8%A1%8C%E7%84%A1%E5%B8%B8-80081

 

 

盛者必衰(読み)じょうしゃひっすい

 

 

 

 仏教用語。ひとたびんとなっても,必ず衰えるときがある,

ということで,世の中有為転変を表現した言葉。仏教の無常観を表わしている。

 

 盛者必衰(じょうしゃひっすい)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E7%9B%9B%E8%80%85%E5%BF%85%E8%A1%B0-79306

  

 


 諸行無常は、絶えず変化し続け、永遠のものではないこと。

盛者必衰は、ひとたび盛んになっても、必ず衰えるときが来ると言うこと。

 

人間は、人生80年になりましたが、

いずれこの歳が近づけば体も弱り、頭も回らなくなり散っていく。

当然私もそのとおりだし、私は40代なのでこの年代の集大成として裁判で勝利し、そして 次の人生を生きていく。

 

あまりにも酷い犯罪国家であったので、独りで苦労しなければならなかったのは日本と言う国が三流思想の愚かな国であったと言う結論しかないですね。

 

 随分とネットで、色々なことを勉強し独りで孤立して生きてきましたが、そろそろその蓄積を糧にして花を付けて、実を結ばなければならない。果実ですね。

今がその時期であり、蝉で言えば幼虫時代は土に潜っていますが、それが私のネットの時代でありました。

 

そして、やっと地上に出て羽化するところ。まぁ転院して回りの取り巻きは排除したので、羽化はしましたね。殻は脱ぎました。

来週からは色々と飛んで、本格的に活動したいと思っております。

 

私は国語は全然駄目だったので理系に行きましたが、まぁ文学と言うのも見れば学べるところは多いのだろうなとは思います。

 

私の親は、馬鹿の象徴である出来損ないの団塊世代だった。

この世代は生めよ増やせよで量産された世代なので、まともな教育を受けておらず、馬鹿が多いんですよ。大部分が高卒だ。

そして劣悪なテレビ世代の人間なので、ネットすら現在も使えずに脳停止した世代だ。この平成の世の中では年金だけ食い散らす世代でしかない。

 

結局馬鹿に教えて貰うものは何もなく、常に自分で調べて学習しなければならない。そして子を守る親ではなく、政治家に操られて馬鹿げたものを押しつけてくる屑だった。

私の成長が遅れたのも、まさに馬鹿な親であったせいで、気づいた頃にはこんな人生だった。

馬鹿に従っていれば報われることはないとはその通りですね。

だから馬鹿の言うことは一切相手にしない。

幸せに生きるための基本だと思いますね。

 

社会のゴミを切り捨てる事は生きるには必須でしょうね。

これは己の力で始末しなければならない訳であって、親ですらそういう犯罪者と同調している。こんな親では終わりだ。親ですらないですね。

 

私の人生は名前すら騙されていたので、私には親はおりません。

裁判が完了して改名したならば、そこで私が生誕したと言うことで、新しく生まれた自分だと言うことですね。

それで蛆は亡びます。