マヤ暦数字上の見えない太陽神 ◆maya/ednWs

マヤ暦の数字と思想で完全再現される太陽の神の生まれです。

【神道政治連盟】2000年5月15日「神の国発言」【神社本庁】

 神の国発言と言う脳の障害について書きます。

 

 私は基本的な思想として、妄想の創作劇は排除して数字と事象を最優先するスタンスを取っています

極力、妄想は排除して、これくらいであればその通りであろうといつも精査しています。

何事も精査が必然であると考えています。

本日は明治神宮の外苑1926年に完成した日と言うことで、明治神宮にあるのが神社本庁ですから、これに触れたいと思います。

 

 

 

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まず、下記がその得体の知れない神道政治連盟30周年記念における「神の国発言です。

 

 

神の国発言

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
 
 
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神の国発言(かみのくにはつげん)は、2000年5月15日神道政治連盟国会議員懇談会において森喜朗内閣総理大臣(当時)が行った挨拶の中に含まれていた、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く、そのために我々(=神政連関係議員)が頑張って来た」という発言。

 

神の国発言」の全文[編集]

2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年記念祝賀会における森の発言

 神道政治連盟国会議員懇談会の三十年ということで、おそらく話があったんだろうと思いますが、この綿貫先生は、綿貫先生はまさしく神の子でありますから、しかも、きわめて位の高い神官でありますから、綿貫さんと私たちは同期生、同じ昭和四十四年の暮れに当選をした。綿貫先生はその纏め役をされておるわけでありますけれども、同じ同期には、当時二十七歳であった小沢一郎さん、その次に若かったのは私、その次に若かったのは私より二つ上の羽田孜さんでした。その次は大阪の中山正暉さん、梶山静六さんもおられましたし、江藤隆美さん、松永光さん、浜田幸一さんと多士済済、いろいろな方がおられた。本当に小沢さんをはじめとして、世間をお騒がせするものが私も含めて、たくさんおったのが、昭和四十四年組でございまして、その中で私どもが、綿貫さんの指導を仰ぎながら、神様を大事にしようという、最も大事なことであり、世の中忘れておるではないかということで、いわゆる神社本庁神道政治連盟、国会議員懇談会を設立したわけでございますから、まさに私達が中心になって設立し、この活動をさせて戴いたものと自負しておるわけでございます。

 村上幹事長その他多大なる御努力のもと、「昭和の日」などの制定を致しましたり、今の天皇のご在位のお祝いを致しましたり、陛下御即位五十年、六十年のお祝いを致しましたり、ま、ややもすると政府側、いま私は政府側におるわけでございますが、若干及び腰になることをしっかりと前面に出して、日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴く、その思いでですね、私達が活動して三十年になったわけでございます。比較的私達の同期というのはしぶとくて、結構国会に残っておりますのは、神様を大事にしているから、ちゃんと当選させてもらえるんだなあと思っているわけでございます。

 とりわけ、今日は梅原先生もいらしておりますが、やはり私は、有難いことに「森」という苗字を戴いておりまして、いまや日本だけでなく、世界中が環境の問題を語るには「森」を大事にしなくてはいけないでしょう。ということになるわけで、小渕さんまで私を大事にして下さったんではないかと思うぐらい、今の立場は本当に、小渕さんの残された仕事、思いをですね、しっかりと私が実行できるように努力せねばならぬ立場にあるわけです。それには、我々の子どもの社会から考えてみますと、やはり鎮守の森というものがあって、お宮を中心とした地域社会というものを構成していきたい。このように思うわけです。

 私が今、小渕総理の後を受けて、こういう立場になって、教育改革をすすめようという教育改革国民会議というものをこうして致しておりますが、少年犯罪がこうしておる状況にアピールをしようと、テーマを造ったわけですが、はっきりいって役所側で作ったもので、みんな大変ご批判がでました。まるで文部省が各教育委員会に通達した文書だったんですが、審議会そのものに対しては文部省の私的諮問機関なので、私がそのものに口を出してはいかん立場なんです。たしかに難しい立場で難しいことなんだけど、要は私は、人の命というものは私はお父さん、お母さんから戴いたもの、もっと端的にいえば、神様から戴いたもの、神様から戴いた命はまず自分の命として大切にしなければならないし、人様の命もあやめてはいけない。そのことがまずもって基本にないといけない。その基本のことが、何故子ども達が理解していないんだろうか。いや子ども達に教えていない親達、学校、社会の方が悪いんだといえば、私はその通りだと思う。

 しかし、昨日沖縄に参りまして、四十七都道府県から子ども達が集まりまして、小中学校の生徒さんが集まるサミットというものをやりまして、そして七月に集まるサミットに提言をしてくれた。その提言を私が戴いたわけでございます。その文章を見ていますと、自然環境を大事にしなければならないとか、そして地球、とかいろいろ書いてあるわけですが、どこにも命を大事にしろとは書いていない。

 ちょうど不思議なことで、その式典に出ようとした時にですね、小渕首相の訃報が入ったわけでございます。沖縄の私のもとに入ったわけでございます。もう胸がいっぱいになりました。もう最後の閉会式のセレモニーでしたから、よっぽどその話をしようかと思いました。しかし、みんな喜んでいやー終ったぞ、という式典でしたから、私は申し上げなかったんです。申し上げなかったけれども、みんな自然を大事にしよう、水を大事にしよう、とっても良いことだと思います。思いますが、地球社会、共生の社会というなら、人の命というのは、どこからきたのか考えよう、この人間の体というものほど、神秘的なものはない、これはやはり神様から戴いたものということしかない、みんなでそう信じようじゃないか。神様であれ、仏様であれ、天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞聖人であれ、日蓮さんであれ、誰でもいい、宗教というのは自分の心に宿る文化なんですから、そのことをもっとみんな大事にしようよということをもっとなんで教育現場でいわないのかな、信教の自由だから、触れてはならんのかな、そうじゃない信教の自由だから、どの信ずる神、仏も大事にしようということを、学校の現場でも、家庭でも、社会でもいわなければならないよということをもっと、私は、もっともっと、日本の国のこの精神論からいえば一番大事なことではないかとこう思うんです。

 私はあまり信心深い方ではないんですがそれでも、朝は、必ず、神棚に水をあげて、そして出て参ります。家にいる限りは。そうすると私の三歳になりましたが、孫が、一歳半から、必ず、一緒にならんでお参りしてくれるんです。今朝も、孫が私のことを先生先生といってくれるんですが、幼稚園に行く前にタッタタと私の寝室にきて、私は、昨日小渕さんのこともあって、大変つかれておったんですが、それでも、孫が起こしにきまして「せんせい」というから、「どうしたの?」というと、「お参りしよう、神様に」というんです。

 これは寝てるときではないなと思って、神棚にお参りした。この子が将来どうなるかは分かりませんが、日曜日には、教会に行っているとのことですので…。神棚にお参りしたり、教会に行ったり、いずれ石川県に行けば、また仏壇にお参りするんだろうと思いますが、要はお参りしようということを、小さな子どもが、お祖父さんがやることによって、覚えてくれる、私は息子や嫁にいうんです。「お前ら一番悪いじゃないか、中間は何にもしない。お前達が何にもしないから、おじいちゃんがやる。そのことによって、ちゃんと孫ができるようになる。」一番大事な家庭のこと、家庭の基本のこと、地域社会のこと、やはり神社を中心にして、地域社会っていうのは栄えて行くんだよということを、みんなでもういっぺん、みんなで、もういっぺん、そんなに難しい話じゃない、であって、そのことを勇気をもってやることが、二十一世紀がまた輝ける時代になるのではないかなということを私は思うんです。こうして全国の皆さん方がお越しの前で、私みたいなこんな余計なことを申すまでもないんですが、立場上、こうしてお話をさせて戴いておるんですが、多くの皆さんに影響力をもたらしてくれる方ばかりでありますので、皆さん方で勇気をもって今の子ども達の社会にもっと神様とか仏様とかということを、そうしたことをしっかりですね、体で覚えてゆく、そうした地域社会を作り出す、秩序ある地域社会を作り出す、そのためにますます皆様方がご活躍をして下さいますよう、またわれわれ国会議員の会も神社本庁のご指導を戴きながら、ほんとに人間の社会に何が一番大事なのかという原点をしっかり皆さんに把握して戴く、そうした政治活動をしていかなければならない。それが私の使命だとこのように思っておるわけでございます。

 たまたま小渕さんが、ご他界になられました。四十三日前にそうしたお立場の中で、私が支え役をしておりました。その中で私はすぐ言ったんです。その小渕さんの跡を戴こうとかそんな事を私は一つも考えておらなかった。私は小渕さんがしっかりやって戴くということを幹事長という立場で、しっかり支えることが私の滅私奉公の立場であっておるんだ、ということを、思っておりましたが、小渕さんがああいうことになって、私が後継になった。そのことが、私は天命と思った。天命ということは神様から戴いた、まさに天の配剤ということであろうかと思いますが、小渕先生が亡くなって、その棺が官邸の前を通って、まわりを回って、そして自宅に帰られた、私はそのことを写真で見ましたが、一点にわかに掻き曇って、そしてにわかに官邸の前を通ったときに、雷鳴があって、私はそのとき思った、何かあったかもしれません。まさに小渕さんはこのとき、天に上られたのか、また天も共に嘆いたのか分かりませんが、いずれにしてもこのとき天命が下ったのかなと思いました。総理大臣になりました時、まさにこう申し上げました。まさに天の配剤だろうと。だからこそ、恥ずかしいことをしてはならない、まさにお天とう様が見てござる、神様が見ていらっしゃるんだということを一つだけ、大事にしながら政治があやまちにならないよう、しっかりと頑張っていきたいと思います。

 ご参集の皆さま、こうして三十年をお祝い下さって、また我が国の行く末を、そして世界の将来をみんなで案じながら、また念じながら、ご指導を賜ることをお願い致しまして、少し長くなりましたが、私の御挨拶とし、御礼を申し上げる次第であります。どうも本日は有難うございました[3]

 

神の国発言 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%9B%BD%E7%99%BA%E8%A8%80

 

ここまでが全文です。

 

 

 

少しずつ解析していきます。

 

まずは冒頭です。

 

 神道政治連盟国会議員懇談会の三十年ということで、おそらく話があったんだろうと思いますが、この綿貫先生は、綿貫先生はまさしく神の子でありますから、しかも、きわめて位の高い神官でありますから、綿貫さんと私たちは同期生、同じ昭和四十四年の暮れに当選をした。

 

この冒頭から、これは明らかに宗教妄想であると断言出来ます。

 

宗教妄想について貼ります。

 

 

 

宗教妄想
統合失調症の陽性症状には、「宗教妄想」という分類をされる症状もあります。
これは、誇大妄想に近い、あるいはその中のひとつという分類をされる事もありますが、
ここでは独立したひとつの種類として取り扱います。

統合失調症における宗教妄想というのは、
簡単にいうと自分を神、もしくはその生まれ変わりであると信じ、
それを実際に周りの人に話すというタイプの症状です。
誇大妄想に近いというのは、自分を極限まで誇大しているからですね。

世界は自分を中心に回っている。
自分は世界の救済者である。
来るべき時に備え、自分は神となって自分を信じる民を救う使命がある。
現在の世の中を壊し、新たな楽園を作る。
などといった、漫画などでよく見られがちな思想にふける状態がよく見られます。

また、自身を神と信じるだけでなく、他の何かを神と信じ、
その神の為には手段を選ばない状態も宗教妄想といえます。
こういった精神疾患は、度々大きな事件を呼び起こしていました。
一番有名なのは、大きな社会問題ともなったオウム真理教でしょう。

宗教妄想というのは、ある意味最も危険な状態といえます。
宗教にはまるという言葉がありますが、この極限状態がこの宗教妄想です。
厄介なのは、自身、もしくはその宗教に対して、盲目的な状態になっている為、
理想実現の為には他者を傷つける事を厭わないという点です。
その為、大きな事件になりやすいという性質があります。

病気の診断に関しては、比較的易しい部類と言えます。
だれでもその異常性には気付くことができるからです。
そして、この宗教妄想は統合失調症の中では多い部類に入ります。
こういう時代だからこそ、多くなっているのかもしれません。


統合失調症の原因と症状・治療法
http://www2.gz-sf.com/post_17.html

 

宗教妄想の特徴について、赤字にしました。

 

宗教妄想者は、自分のことを神だと思っているので、仲間を神として持ち上げます。

この主張は当然自分も神であると言う考えが根底にあります

 

神の子と言う言い方は、キリスト教の教義である三位一体の中の、

父なる神ロゴス、子なる神イエス・キリスト、そして精霊

この三位が一体化しているので三位一体と言い、その神の子がキリストです。

 

神官と言うのは、そもそもは国に仕える神職と言う意味で、現行の日本国に於いてはそういう肩書きはありません日本神道は一宗教法人ですので、国と宗教は無関係であり、宗教が国の利権に縋るのは憲法違反です。

ですので、森喜朗が述べていたのは完全に憲法違反の語句であると言うことです。

 

 当然、私は日本国憲法が最優先ですので、明治神宮なんてのはまさに広島と長崎に原爆を落とした日本国の汚点が形となって現れたものであると言う認識であり、明治は日本の歴史からすれば誤りであった、教育勅語、所謂天皇を神と洗脳した教育は間違いであったと思っています

 

元に戻り、冒頭文の昭和四十四年の暮れに当選した。

この44と言う数字は、太陽黒点活動周期である22年の倍数であると言うことで、

それで自分たちが太陽であると言う関係妄想の脳の障害です。

その昭和44年、西暦では1969年ですが、世界全体で見れば、無数の政治家が当選しており、その数字には何も根拠がないんです。意味のない数字です。

 また、基本的に日本の元号は世界74億人の中でたった1億人強であり、73億人には無関係であるどうでもいい元号なわけですね。

そしてその元号と言うのは天文学とは無関係であり、単に天皇の生死や代替わりで勝手に移り行く拠が無い変数です。

 

 平成が30年で終わるのがまさにその通りであり、神道政治連盟が2000年で30周年であったから、今上天皇には平成30年で引退して頂こうと言う考えだと思われ、むしろ単なる国民である票で当選した神でも何でも無い人間が元号を操作している。

要するに天命ではなく人間が弄っているだけなので、当然天文学でも何でもなく、昭和44年と言う数字は全く根拠が無いと断言出来ます。

 

 世界でメジャーなのはグレゴリオ暦ユリウス暦と思われます。当然マヤ暦も少数であり世界から見れば使っていた人は少ないが、この天文学は異質で、どのように知識として得られたかは不明であるので、遙か昔に他の知的生命体が知恵を授けたと思われ、私としては通常の物ではないと感じているわけですね。

 通常、自分たちで天文学をマスターすれば、伝承していくので忘れ去られることはさほどないと思います。でも現在のメキシコで誰も分からないと言う展開は、過去に誰かから与えられた知識であるとしか思えないわけですね。

 

 日本には皇紀があります。本来であれば日本の独自の暦はこれであり、代替わりした元号などどうでもよく、勝手に自民党が拘っているどうでもいいものです。

むしろ元号があるから日本国で障害が発生する。今般の運転免許証の更新日の西暦化は、元号そのものが癌であると言うひとつの証明です。

 

 脱線しましたが話を戻して次です。

 

 

  この人間の体というものほど、神秘的なものはない、これはやはり神様から戴いたものということしかない、みんなでそう信じようじゃないか。神様であれ、仏様であれ、天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞聖人であれ、日蓮さんであれ、誰でもいい、宗教というのは自分の心に宿る文化なんですから、そのことをもっとみんな大事にしようよということをもっとなんで教育現場でいわないのかな、信教の自由だから、触れてはならんのかな、そうじゃない信教の自由だから、どの信ずる神、仏も大事にしようということを、学校の現場でも、家庭でも、社会でもいわなければならないよということをもっと、私は、もっともっと、日本の国のこの精神論からいえば一番大事なことではないかとこう思うんです。
 

 

 上記は宗教の信仰について述べられていますが、この日本人の思想は世界からは全く理解されない、受け入れられない障害となっております。

 

本来、宗教と言うのは、ひとつの神や仏を信仰します。神や仏と言うのは人格神ですから意思を持っている。人としての振る舞いで、まずあなたは誰に相談するでしょうか?不特定多数の意見は徴収するでしょうが、信じられる人間と言うのは著しく少ない。そう居ないはずだと思います。それは長年の蓄積から、信頼関係を通して信用が生まれるわけであり、それは神に対する信仰も神が存在するとすれば、神から信用を得なければならない常に色んな神や仏を見ている腐れた人間など、神は天界から見ているのですから、最初から相手にしていないわけですよ。当人は相手にされていると勝手に思っているだけなんですね。

 

だから、まず神様を大事にしていると言う思想があるのであれば、まず当人が私はこの神様だけを信じていると言う宣言から普通は出てくるんです。それがあって、そして個々がどの神様を選ぶのかは自由であるが、一つの神様を信仰していかなければならないと言うのが、正常な教えです。

話の中で、同時に色々な有名である神々や仏の名前が挙がるのは、信仰者でも何でもない詐欺師なんですよ。

 

 結局は、神の国発言の全体を読めば、まさに自分が「せんせい」として、「世界の森」として、神格化された鎮守の森、果てはご神木。そういう存在に自分がなりたい、なるのだと言う腹黒いスピーチですね。中身はそれだけです。

 

私は森喜朗の家系が、果たして士族なのかも知らない。特に家系図と言うのもネットにすら載っていないし、実家が文化財でもないようだ。この得体の知れない家系の森家が、どのように神官に繋がっていくのか甚だ疑問ですね。何が根拠なのか理解出来ません

 

 

 

 

経歴[編集]

政界入りまで[編集]

 
2001年3月25日、父の墓参りに訪れた森。

石川県能美郡根上町(現在の能美市)に、根上町長を務めた森茂喜と、妻の薫(1944年11月病死)との間に、長男として生まれる。小中時代はいじめの常連で何度も職員室に引っ張られたと講演で回顧している。中学時代の教師は森が悪いことをして交番に連れて行かれると、警官の前で森を怒鳴り、殴りつけた。父親の立場を慮って貰い受けに来た手前、必要だったものらしく、自転車の後ろに森を乗せて帰る途中「頭が痛かったら先生の背中にこすりつけろや」と言ってくれたと言う。こうしたやりとりから師弟の情愛が生まれ、その教師は後年森が立候補する頃には教組の幹部になっていたが「お前のお陰で教組を辞めなきゃいかんようになった。今まで自民党にだけは入れないできたが、とうとう自民党に入れることになってしまった。困った奴だ」と森に協力した。その後恩師は石川県中学校長会の会長になったという[注釈 1]

 

 森喜朗 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%96%9C%E6%9C%97

 

 

 ということで、神を自称するのであれば、家系情報は出して頂きたい。誰も妄言なんて期待していない

私の実家は文化財だし、森家みたいに低質ではない。ちゃんと手元に根拠資料もあります。

得体の知れない家系の喚きとか、眼中にないですね。

 

 結局は、票のみで上り詰めたのは単なる凡人であり、神では無い。

神と名乗るのであれば常に証明が必要であり、神社から神通力を貰ったから神と名乗るのであれば、それは単なる脳の障害でしかない。

私は神通力は回収できる人間だし、消えない人間だ。

低俗の劣等DNAなど更々相手にしていませんね

 

 

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